中四駅伝 今昔物語

第3回  堀内建吾さん
         (平成13年度卒)
〜プロフィール〜
短距離選手として活躍していたが、4回生時に長距離ランナーへ転向(?)。
中四駅伝は45回大会に出場。(2区 28'28" 区間14位)
現在南国消防署に勤務。競技では土佐ACに所属し、現在も走り続けている。

 つい最近になって中長のホームページがある事を知り、それからは、定期的に見ていました。中四駅伝今昔物語という新しい特集を見つけたときは、俺もという気持ちよりも、他の先輩や後輩達にいい内容の物を載せてもらって、どっかでちょっと載せてもらおうと思っていましたが、連絡がとりにくいようなので、先に載せて頂きます。

 俺の場合はかなり特殊なパターンなので、4年間中長で頑張ってきた人には見せられないような内容になりますが、4年時に駅伝に出たときの気持ちは誰にも負けないと言えます。

 400mの選手としてスポ科に入学しました。個人種目より仲間と走れるリレーや駅伝が好きなのでマイルリレーに力を入れていましたが、満足のいく結果を残せませんでした。中四ICが終わった時に、引退を決意して一度は競技人生にピリオドを打ち、後は趣味的程度に走ろうかなと思い、昔から長距離も好きで結構走れるので(中学・高校時代も駅伝を走っている。高3の時は山根君と同じチームで先輩として走った。大学4年時に彼と襷渡しをする事になるとは、この時は知る由もなし。)長距離のジョグについていったりしていました。

教育実習後、四国ICを見に行きました。同期や後輩が活躍する姿をみながら、応援する気持ちより、寂しさや悔しいといった感情の方が強い事に自己嫌悪を覚えました。スポ科に入学して陸上中心の生活を送っていたのに、結果を残せない事が続き、焦りや気負い等でどんどん自分を追い込んでしまい、陸上を楽しんでやれない時期が長かった。だから、四国ICを見た後に、「こんな気持ちを抱えて卒業していいのか?俺は高知大学陸上競技部に一選手として、何か残せたのか?」と思い「中四国学生駅伝を走り、10位入賞して、後輩に道後山を走る権利を残して卒業するぞ」と固く決意したわけです。

 それからは、4年間の陸上生活の中で、一番充実した期間を過ごせました。実質4ヶ月で選手に選ばれる走力を身につけなければならないし、他の中長選手に失礼にならないよう、他の選手以上に練習をやらないといけないと思い、それを実行しました。また、一日一日の練習を集中してやる事が出来て、再び陸上を楽しみながらやる事が出来ました。

 大会では、7秒差の11位となり、目標を達成する事は出来なかったのですが、練習、選考会、試走、駅伝を通して中長メンバーが一体となり、いい経験をする事が出来ました。  

 今でも、アンカー増田君の涙は忘れられません。俺がもっといい走りをしていたら、結果は違っていたとも思いますが、あの日は、あの状況の中で、ベストの走りをしたと思っています。

 今年の駅伝メンバーの皆さんは、例年以上の強い力を持っていると思います。普段、一緒に走らせてもらって、強く感じています。俺も学生時代の力をとり戻してきているのに、皆それより速いし、負けてられないなと触発されて俺も頑張っています。雰囲気もいいと思います。ただ、何となく感じる物足りなさを挙げるとすると、ややおとなしすぎるところかな?内に秘めたる熱い気持ちは感じます。というか、そういう人が多いのか? でも、もっと主張していってもいいと思います。自分が引っ張って、チームを盛り上げていくんだと思って、意見を出したり積極的な練習をしたりして下さい。(たまに来て、少し離れて見ている人の言葉なので、実際とは違っているかもしれません。今でも、充分やっていると思うので、深くは気にしないで下さい)

 大変長くなりましたが、最後に、高知大学陸上部中長距離の駅伝の活躍を祈って、終わらせて頂きます。当日は俺も試合なので応援は行けませんが、お互い頑張りましょう。いい結果報告を楽しみにしています。



ある日突然、「俺、ジョガーになる!」と宣言し、冬には駅伝を走っていました。
ホリケンさんとは1年しかかぶってないので、あまり短距離ランナーとしてのイメージはないのですが、
春はリレーメンバーだった選手が冬には駅伝(しかも2区)メンバーになることは稀なのでは、そしてすごいことなのではといまさらながら思います。
元主務で、強力な雨男なのは有名な話です。
管理人がスポ科に入学した年、オリエンテーションで在校生代表としてお言葉を下さった方でもあり、
陸上競技の授業では、スポーツ指導演習のため先生をしてくださった方でもあります。


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